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2015/02/22

文庫本サイズ

本を読む方ではないが、読むのが嫌いなわけではない。

本を読み出すと続きが気になってしまうので出来ることならまとまった時間を取って読み進めたい。

春や秋の心地よい気温の中、部屋でゆっくり本を読むのもいいがなんだが勿体ない気もしてしまって"読書デー"のようなものはなかなか出来ない。

そうなると移動時間等になるわけだが、A4サイズが入るブリーフケースを休日に持ち歩いているわけではないから、ナショジオとかは読めないし、単行本も重いので持ち歩きたくない。


文庫本はそういう点ではかなり優れている。小さくて軽いし何しろ安い。

だから、本屋さんに行ったときは文庫本コーナーをチェックするようにしている。でも、本を買って帰れるのは5回に1回あるだろうか・・・たぶんない。


個人的にナショジオの文章は読みやすい。世界中で出版されているだけあって洗練されているというのもあるだろうが、文章の読みやすさというのは好みが分かれる部分だと思う。小説になればその影響は大きくなると思っている。私は。

本屋さんでぺらぺら眺めて、良さそうな雰囲気が感じられなければ買う気にならない。そこはもう自分で見るしかない。
そのあたりを汲んでくれるサジェスト機能はないのだろうか。逆にジャンルはどうでもいいので、そこだけを基準にオススメしてくれてもいい。

文庫本サイズで、読みやすい文章のもの・・・そうなると面白い映画を見るより何倍も難しい。


2013/08/16

零戦


所沢航空記念発祥記念館で「日本の航空技術100年展」として展示されている零式艦上戦闘機五二型。
アメリカのPlanes of Fame Museumが所蔵する機体で、オリジナルである栄エンジンを搭載し、飛行可能な唯一の零戦である。(飛行可能とするために再製作などの修復は行われている。)


  

飛行可能なだけあるし、展示用に掃除されているはずなので綺麗だ。
零戦と知らなければ、60年前の飛行機らしくない姿である。
単純に比較はできないが一般に旅客機の寿命は15~20年前後。 常にコストとの戦いで燃費の悪い機体をわざわざつかったりはしない。(途上国などに売却されてその後も使われたりはするが)

F-4は型が違うとは言え、初飛行が1960年の機体なので自衛隊のF-4E(RJ)はもう53年に近いということになるし、そう考えると零戦もまだ”新しい”のかも知れない。

零戦のすらっとした胴体に低翼の主翼、それに映える上反角。なんだかくるくる転がりそうなあのフォルムには惹かれる物がある。

お土産として童友社の1/144 現用機コレクション 第23弾のF-35Aシリーズを1つ買った。

塗装済みの半完成品である。航空自衛隊も配備予定の機体だ。最新鋭機は最新鋭機なりのかっこよさがあるし、零戦のようなレシプロ戦闘機はそれぞれの機体が洗練され、究極のような形になっているようにも思える。

MRJは初飛行が遅れている。まぁ、787もA380も遅れた。航空機は今も昔も上手くいかないまだまだ難しい産業なのだと実感させられる。



航空技術は軍事により発達したことは間違いないが、暮らしを支える大きな柱となっていることも間違いない。戦争のない完全なる平和があるとしたらその下で技術が進歩していくものなのかは、非常に悩ましい問題だと思う。

切っても切り離せない関係とはいうがむしろそうでない関係をこの世で探すことの方が困難だ。

2012/11/03

非効率的というもの


近所のクリーニング屋がリニューアルした。
どうリニューアルしたかというと、無人化したのだ。

コインロッカーとTSUTAYAの返却ボックスが合わさったようなシステムで、適当に預けると仕上がり日にはロッカーに入れられ、指定のロッカーから回収するというシステムである。

これよる顧客側のメリットは2つ。
1つは取扱時間が前後に延びたこと。朝、大学にいって帰りが遅い大学生(主に就活生)、そして一般人にはとても有り難いはずである。
2つは若干料金が安くなったこと。本当に若干。もしかしたら、私の気のせいかも知れない。

そして、デメリットもある。
即日仕上げがなくなったのだ。これは地味に不便だ。

店側はどうだろうか。
ご存じの通り、チェーン店型クリーニング店でも店舗に1人は必要である。詳しい業務までは知らないが、預かり物のチェックと料金の受取、仕上がり品の引き渡しであろう。

無人化によって店舗に人が居る必要は無くなったが、預かり品のチェックは工場で新たにしなければならない業務として加わった。しかし、一般的に考えて1箇所に集約されるので、人員は以前より削減できるだろう。
一方で、もちろんこれらの無人システム構築のための投資が必要である。

私はクリーニング屋ではないし、結果的にどちらが費用面でいいのかは分からない。
即日仕上がりが無くなり、売上もある程度は減るかも知れない。もちろん企業判断としては、変更して利益の上がる見込があったのであろう。

クリーニングとは、洋服などを預けて綺麗にしてもらうものである。ものは違えど、Amazonでも宅配便の人が届けに来る。要するにお店で買わなくとも人との接触があるのである。

今まで、人がやってきたことが無人化された。箱に洋服を入れると、綺麗に仕上がり箱に入っているということが、どこか不気味に感じてしまうのだ。慣れの問題ではあるかもしれない。

企業側にとってはコスト削減が進んだ。また、雇用が減ったこともまた1つ事実としてあるだろう。効率化という経済性とはなんなのか。雇用があることが経済であり、コスト削減もまた経済なのだ。

夜遅く、人影のない”ロッカー”が明るく照らされる店舗を眺めながら、物事の多面性を改めて感じた。

2012/09/28

デジタルとアナログの狭間で


NEXUS7に合わせて日本でもGoogle Booksが始まった。正確にはGoogle Playでの取り扱いが始まった。

中学高校と読まされることはあったが、自ら進んで本を読んでいるのは今が一番多いかもしれない。

このブログは新しいが、ブログそのものは少しは古くからやっている。ブログをやっていると本を書く人は凄いなと改めて感じる。あれだけの量を構成を考えて書くのだから。「それでくっているんだから当たり前だろう」と思う人いるだろうが、純粋に能力としては素晴らしいもの以外何物でも無い。

話を戻すと、やることはあるのだが先延ばしに出来てしまうことが多くなってある意味では、時間ができるようになったのだ。それと毎日がこれまで以上にルーチン化してしまってどこか変化を求めているのかもしれない。

まぁ、嫌でも来年には変化があるのだが。

本を読むのは嫌いではない。しかし、人前で好きとは言えるほどではない。世の中には膨大な量の本がある。好みの広い人ならまさに宝の山であろうが、私は好みが狭いので”読みやすい”本を探すのに苦労する。

”読みやすい” というのは開いたページが読みやすい文体であるかだったり、読み始めようという気を起こさせる何かがあるかと言うことだ。
本に限ったことではないが取っ掛かりというのは重要である。

Google ブックス(http://books.google.co.jp)で読んだ本を思い出してみた。
量としては少ないが、私としては読んでいる方なのだ。
ミリタリー系3冊と経済系1冊、よくある小説2冊だ。 こうして書き出すと9ヶ月で6冊とはお粗末である(笑)それに酷いジャンルの偏りようである。
小説の方は普段はほぼ読まない。まず本自体をそもそも(以下略 

きっかけはTwitterである。本を買ったというツイートを見てなんとなく読みたくなったのだ。結果としては面白かった。( ;∀;) イイハナシダナーであった。

私は電子書籍には期待している。まぁ、電子書籍でなくてもAmazonやGoogleでいい。
本は確かに面白い。映画より安く長時間楽しめる。一方で、映画のように予告編があるわけでもないし、本の帯なんてのは何の手助けにもならない。
本が好きって人はきっかけ作りが上手いか探知能力が高いのだと思っている。

私が期待しているのは"オススメ"だ。電子書籍に限らず本が電子的ものを経由すれば必然的に統計データは得られる。ぜひ私のような不器用な人間でも、楽をして本が選べる機会が整えばいいと思う。特化したWebサービスとかではなく、もっと普遍的なサービスである方がオススメの精度は上がるのではないかと思う。

きっかけなんてのはたいしたことはないが、きっかけが導く結果を蔑ろにはできない。良い意味でも悪い意味でも。私は音楽が好きだといえる。それはYouTubeであったりインターネットでの”きっかけ”が増えて好みに出会える機会が増えたからである。

違法行為を推奨しているわけではないが、厳密に運用されるには優れたきっかけシステムがなければならない。現状としてその優れたきっかけシステムの一部を違法なものが担っていることは認めざるを得ない事実である。

食わず嫌いより食べてからきっぱり嫌われる方がどうせ嫌われるならいいのではないか。好きになってくれる可能性にかける価値はあると思うのだ。無い需要など需要ではないのだから。

ページを読み進む気持ちよさ、読み終わった本が嵩張ること。楽しそうな本を見つけられたことの嬉しさ、高まる期待。電子化されたのに画面でページをめくるとはなんともアナログであろう。デジタルとアナログの狭間で本は今までのように、そしてこれからも私に別世界を提供していってくれるはずだ。

2012/06/22

多様化という不自由

改正著作権法が巷を騒がせている。
今回の改正は、”取り締まる”一つの方法であることは間違いない。


盗むという行為に対して、これに対抗する手段は大きく2つである。

盗まれないようにするかか盗む価値を無くすかだ。どちらがいいとかどちらができる出来ないは、ケースバイケースだがこの2つに分けられるに違いない。




世の中で広まったり有名になるものには、チャンスがあってこそだと思う。

何事もチャンスだとも言える。チャンスというのはやるべき時にやる、やることをやったとか運だけのものではない。そう、チャンスが本当に運だけなら自己啓発本とやらはゴミ屑(そうでなくて元々・・・)に違いない。




私は好きなアーティストが居るし、それらの音楽は好きだと言える。そうでない人もいるだろうが、イコール好きな音楽がこの世に存在しないということではない。
なぜなら、これは悪魔の証明であるからだ。(地球上には多くの文明や民族がいるのだ)




娯楽というものはチャンスを活かせなければ、需要に繋がらない産業であろう。


YouTubeには違法にアップロードされているものが多いが、それらが生み出した需要はどのくらいあるだろうか。

あちらのお方が提示するデータはいつも損ばかり計算されていて全く参考にならない。彼らが提示するモノの売上だって、労働への対価という損を出してこそのプラスであり、損だけを提示したデータなど何の意味もない。どんな損が生じていようとも、それによって得られた利益が見積もれないのであれば、全体としての損益を評価することは出来ないはずだ。(感覚的な予測はできてもね)

また、損がなくなったからと言って利益に繋がるとも言えない。


違法なアップロードやダウンロードが単純に数値的な損を生み出していることは間違いない。
だた、無料だから貰っておこうという乞食精神や広告効果を差し引いても損というデータは無いか、あまり見かけない。

これに固執し過ぎるのは、売る側の姿勢としてどうなの?と言いたい。今回の改正が売る側の損益上賢明な判断だったとしても、ユーザー側としては今より不便であるのは間違いない。より活発にしていきたいならば、売る側何らかの形で補って行かなければならない。


聞き放題系のサービスが流行らないのは、聞きたくもない分までも含まれた料金設定だと思う。
数量的には適切な対価だとしても、体感的に適切だと思われなければ需要は生まれないし、それならば市場価格の点からの適正な対価だとは言えない。


YouTubeからの抽出して音声データ程度でいいという層は、例えるなら車は走ればいいという層であるしこれに応じた、適切な商品を展開しなければならない。




車が普及し、軽自動車から家が買えるような高級車まで広く存在するようになった。”低級”から”高級”まで差を付けなければ対応出来なくなったのだ。ハードカバーと文庫は中身は同じだが、敢えてハードカバーを買う人も居るだろう。

音楽に限らず映画も同じである。

ネット環境が拡がり、記録媒体が多様化し、どこでも聞ける見られるというある意味普及しきった音楽や映画は1つの形態ではなく”低級”から”高級”まで揃えなければならない時期に来たのだと思う。一応言っておくが、低級とか高級はどれが優れているとかでなく、最適化の意味だ。


音楽や映画は形がないので、車のように単純な話ではないが聞き・見放題や個別の配信、CDやDVDやBD、ライブや映画館のどれを取るかはこれに似ていると思う。




音楽・映画産業は新たな黎明期を迎えているのかもしれない。そして黎明期には迷走することがよくある。

この改正が迷走かはたまた杞憂であるなら、今後も音楽や映画を自由に楽しんで行けるような気がするのだ。



※映画産業はグローバルなのでまたちょっと違う話ではある

2011/08/28

鳥人間コンテストに思うこと。


今月19日に「IWATANIスペシャル 鳥人間コンテスト2011 34th JAPAN INTERNATIONAL BIRDMAN RALLY」が放送された。スポンサーをしていただいてる岩谷産業様様である。

今までと違いダイジェスト抜きの編集という新しい放送形態を持ってきた。去年まではダイジェストは可哀相だなーと思って居たけれども、そのダイジェストさえ無くなってしまい鳥人間コンテストをテレビでしか見ない人には、あれが全てのチームのように見える。

大会に出るためには審査を通過しなければならない。倍率はそこまでではないが倍率だけでは語れない難しさがある。大会に出場しているチームは謂わば"選ばれたエリート"でもあるのだ。

審査の結果が出てしまえば、あとは出場するチームを純粋に応援している。せっかく出場したにもかかわらず、番組に全く映らないというのは寂しい。嫌らしい話、交通費やらなんやらでそれなりのお金も掛っているのだし。

2chのロシアの鳥人間コンテストのニュースのスレでは「日本のは本気過ぎ」だとか、「前の飛ばなかったおふざけころの方が面白かった」という声があった。



そう思われてしまうのもやむを得ないと思う部分はある。しかし、このあたりのさじ加減はテレビ局側が握っているのだ。どのチームをブログで日々情報発信をしているが、放映の力には勝てない。

F1と少し同じ匂いがすると思う。技術は以前と比べれば向上して、争いはモータースポーツのように高度化してきてはいる。しかし、大部分においては昔とは殆ど変わってはいない。
まず、製作は殆ど手作業だし機体へのロゴ掲載などスポンサー行為は禁止されているので資金面で苦労しているところもある。

あの長い翼だって、スライスした断熱材から魚の小骨みたいなパーツを切り出して、軽量化のために穴を開けて1つ1つ桁(パイプ)に接着剤で固定していく。そのあと補強材を貼り付けて、しわの出来ないように透明のフィルムを貼るという作業を30m分繰り返すのだ。


昔に比べたら随分と飛行機らしくなってきた今の機体は、地道な手作業によって作られてるのだ。
おふざけ大会と違ってきちんと空力設計を行なっている。しかし、その設計も教科書通りには行かない。
理想と現実とのギャップだ。
機体を設計するのは大抵の場合各チーム1人だけで、極端な話それ以外のメンバーは飛行機の知識などなくてもできなくはない。どちらかと言えば熟練工のようなものだ。



琵琶湖に舞う美しい機体を飛ばすために、1年掛けて泥臭い作業を行なっている。
「なぜ泣いているのか分からない」というクレームがテレビ局に来たこともあるらしい。1日のために1年間頑張ってきて記録が出なかったときに泣かない人間がいるだろうか。

甲子園で負けたから泣くというのは分かる人は多いのに、なぜか鳥人間コンテストは理解してもらない。
泥臭い部分が視聴者を含めた、自分達以外には伝わりにくいからだ。ぜひこの部分をテレビ側には拾って欲しい。

テレビはエンターテイメントである。そこに技術的評価を上手く盛り込んで鳥人間コンテストをやって欲しい。部室はない金沢大学はとても可哀相だが、機体だけならもうちょっと上手く作れているチームはあるはずだ。
2チームしかゴールできなかったタイムトライアル部門も1チームを除いて、ディスタンス部門強豪チームばかりでなのにあの結果である。(例外の1チームを出したのはミスとしか思えない)
それほど難しい部門であるということがどれだけ伝わっただろうか。

ディスタンス部門は風が強敵だ。人力飛行機のパワーではどうやっても風に流されてしまう。昨年の優勝チームは風が強くなり条件が悪くなる、最後に飛ぶことになっているがそれに言及しただろうか。



技術立国日本を作っていく若者が頑張ったことをエンターテイメントの名の下で踏みにいじらないよう努めて欲しい。そう思ったバードマンは多いと思っている。

ちなみに、「鳥人間」は商標第4776282号 で登録されいる読売テレビ放送株式会社の登録商標です。

2011/03/31

クラウドという憧れ

クラウド、クラウドコンピューティングは実に便利だ。
クラウド型のデータ同期/バックアップ/共有サービスであるSugarSyncを利用しているが、印刷し忘れても学校からブラウザ経由で、ファイルを落として印刷できる。

急に確認したい資料があったときは手元のXperiaのアプリから見ることができる。



Amazon.comが「Cloud Drive」なるものを立ち上げた。
無料で提供される5GBのオンラインストレージに音楽データを保存し、PCやAndroidと言った携帯端末から再生できるようにするサービスである。料金を支払えば、さらに大きな容量へとアップグレードもできる。


類似するサービスは有名無名を問わずいくつかあるが、Amazon.comが始めたことは大きい。
AmazonのKindleは電子書籍をより身近なものとしつつある。その、Amazonが始めたのだ。



このサービスにレコード業界からは反発の声が上がった。

Amazon.comのクラウド音楽サービスにレコード業界から反発 - ITmedia News


TechCrunchにはこんな記事が載せられた

クラウド上のスペースはユーザの(借りている)ハードディスクだ–レコード会社の貪欲とは無縁 - TechCrunch


この記事には賛同したい。

私は日本にある音楽配信サイト(サービス)の大半を利用したいとは思わない。
大抵はDRMで固められている。バックアップを復元したりファイルを移動しただけで、そのものを失いかねない。
お金を出して買ったにも関わらず、その所有権はまだ握られたままだ。


一方、CDを買ったりレンタルをしてきて保存した曲はコピーもバックアップも復元も自由だ。

それは私的複製の範囲内であるからだ。


所有とは法律的に言えば所有権である。



映画『 弁護士 灰島秀樹』で弁護士の灰島秀樹の台詞にこんな一言がある。

「多くの奴らは法律に守られている、と思っているけど、実は違うんだな、法律に縛られているんだよ」



実に印象深い台詞だ。


お金で勝ち取ったと思っているこの“所有”も法律によって定められている。取った者勝ちも事実ではあるが、争いごとになれば法律に勝つことはできない。

本来、我々が持つべき”所有”は法律によって奪われているのかも知れない。
それは音楽業界の人間も知っているだろうが、おとなしく喰われるのを待つわけもない。
彼らもまた人間であり、生存したいと思うからだ。


法律が事細かに全てのことを定めていれば答えは○か×の2通りしかない。しかし、そんなことは不可能だ。人工知能やらで法律が進化するようなことができても、人間の判断が介入しなければならないだろうし、介入する以上△という事物が出てくる。

世の中の進化のスピードは上がり、法律という人間が蓄えた英知をも超えるスピードになりつつある。


クラウドは発想を現実のものとする大きな可能性がある。
バッテリーやネットワークインフラが更に良くなれば、ストレージを持たない音楽プレーヤーさえ登場するだろう。


空を飛びたいと人は空を見上げて、雲に乗ってみたいとも考えた。
航空機は今や当たり前の存在となった。

雲は形を変え、クラウドとして生活を変えようとしている。

「Cloud Drive」と音楽業界という争いは一面でしかなく、実は進化スピードと人類との争いではないか。

そんな考えさえ浮かぶ。次はどんなサービスが誕生するだろうか。テクノロジーは実に愉快だ。


















BONNIE PINKのキャラクターのシールをノートPCに貼った。

シールだけを見て気付く人がいるとは思えないが、クラウドコンピューティングと掛けてみたつもりだ。




雲はいつの時代も憧れの存在であり続けるのかも知れない。

2011/03/01

カンニングという敵

世間を騒がせている、京都大学入学試験におけるカンニング

まだ、具体的な手口も実行者も分ってはいないがそのうち分かるだろう



カンニング防止対策の強化が必要だ!という流れがあるように思える

果たしてそれはどうなのだろうか。
結論から言えば、現状レベルにとどめるべきであると思う。

やるとしても開封が分かる袋を配布し、試験中はそれに入れてカバンなりに入れておいて最後に解答の回収とともに未開封を確認して終わりという形だ

エコ()という観点では好ましくないがこういうのは指摘されないから大丈夫




朝、テレビで中国のハイテクを駆使したカンニング事情が紹介されていたがあれは規制が強化された結果でもある。

これほどまでに携帯電話が普及している今、会場内に持ち込み禁止というのは現実的ではない。預かりの手間や設備を考えれば非効率的だ。

多少極端な例だが、麻薬の密輸について見てみる。
麻薬の密輸を防ぐために、例えば空港では麻薬探知犬などによる検査が行なわれている。
しかし、一般利用者には大して不便は掛けていない。

入試でカンニング防止のために電子機器や携帯電話の持ち込みを禁止したとしよう。
一部のあるかもしれないもしもに備えて、多くの人が大きな不便を被ることになる。

これで防げるならまだしもより高度なカンニング方法は現段階でも思いつく。
ある1つの手段を防いだに過ぎない。

更に、より高度化することで発見がより困難となり、イタチごっこである。
これは“スマート”ではない。


イタチごっこがいけないというのではない。大勢を巻き込んでまでイタチごっこを行ない防ぐほどのものなのかということである。
世の中不正の廃絶などはできない。つまりはトータルでどうかというのを見ていくしかない。

馬鹿がカンニングで受かっても、あとで苦労するだろうしもし苦労せずにきちんとこなせれば1つの有用な人材が増えたことになる。


どこに妥協点を見いだすのか。それこそが世の中のいろいろなものが上手くいっている理由だと思う。製品でも、クオリティーとコストの妥協点の結果だ。


カンニング対策と入試。
スマートフォンでも今のところ思ったことが入力できるなんてことはない。

意志に応じて入力できるとか、東大が開発したような空中で手を動かすと入力できるとかそういう新しい入力デバイスや方法が普及してきたら、またそのときはそのとき。


現段階では、携帯電話の電源を切るとかカバンの中に入れるで十分だ、そう思う。